活動紹介

広島菜を知ろう

広島市安佐南区川内の広島菜漬は九州の高菜漬、信州の野沢菜漬と共に日本三大菜漬の一つとされています。

広島菜の歴史

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広島菜の起源は他説ありますが、慶長年間(西暦1596~1615年)に安芸国藩主が参勤交代の折に江戸から帰る途中に京都の西本願寺へ参詣し、種子を持ち帰ったのが最初とされます。それを明治に入り川内村(現安佐南区川内町)の木原才次が改良を重ね、広島菜の原型を作りました。
 その後、川内の肥沃な地質を高度な技術を持った多くの農家に支えられ、現在の広島菜が完成されました。
 現在の名称である「広島菜」が一般で使われるようになったのは、昭和8年に広島県産業奨励会館(現原爆ドーム)にて、命名展示されたのが始まりとされています。
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広島市安佐南区川内は太田川がもたらした肥沃な大地に恵まれ、野菜作りに最も適した地質と高度な技術を持った多くの農家に支えられ、広島菜は大きく発展飛躍を遂げ、昭和8年広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)にて「広島菜」と正式に命名展示されました。
十数万人以上の人々の命を奪った原子爆弾は広島菜の故郷、川内でも多くの人々を苦しめました。
1945年8月6日、川内の住民は被爆地近くで勤労奉仕に駆り出されており、作業に従事していた者はほぼ全滅、翌日家族を探しに行った者も、入市被爆をしています。
しかし、川内の農家はその逆境にも負けず、広島菜の栽培を続けました。

広島菜の特徴と現状

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川内での広島菜は各農家が自家採種により先祖代々その家々の種を継承し、どの農家も一軒一軒、違う広島菜を伝承してきました。
その違いは微々たる物で、誰にでもわかる程の違いはなく、広島菜の採種も各農家の目利き、経験により行われるので、たとえベテランの農家であっても、他家の広島菜を継承するには莫大な時間と経験を要します。数年の引継ぎで継承する事が難しいほど奥の深いものであり、皆その違いに誇りを持ち、種を伝承してきました。
しかし、近年では川内の宅地開発区域指定により都市化が進み、農業を営むには厳しい高額な税金が課せられ、宅地化が進み、近隣住民との間に堆肥の匂いや、早朝作業時の耕運機やトラクターの騒音を巡りトラブルが相次ぎました。
その結果、後継者は農業に従事せず、農地は著しく減少し、広島菜も多くの系統が途絶えました。
幾多の困難を乗り越え現在に至っているものの、広島菜の現状は大変厳しい物です。

広島菜のこれから

東京の練馬大根がほとんど姿を消したように、大阪の守口大根が地元で栽培されなくなったように、川内の広島菜も同じ運命を辿りつつあります。
戦争や都市化の波に翻弄された「広島菜」の苦難の歴史は、現在の農業の縮図のような気がします。
しかし、そんな苦難の歴史の中で、今なお川内の広島菜を守り続ける農家もあります。
伝統を守る、伝統に裏付けられた品質を守る。そして、伝統の上に更なる品質の向上を加える。
新しい食材の開発も農業の生きる道の一つですが、この伝統を守り続け、品質を維持し続ける農家の努力も、農業再生の道筋の一つとして大切にしなければならないような気がします。
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